2007年8月24日 ユジノサハリンスク(豊原)⇒40km,1hr⇒コルサコフ(大泊)⇒                   100km,6hr⇒稚内⇒440km8hr⇒小樽⇒札幌24時過ぎ着 
=写真をクリックすると大きなサイズになります=
 最後の「京極の名水」で寝起きのコーヒを沸かし、泥川団メンバーの部屋へ持って行く。
 今日は、皆さん朝寝坊で、朝食にも中々顔を出さない。仕方が無く、揃った順に食事をする。スクランブルエッグの黄身が白いようで、どんな卵か見たかった。
 ホテル前で記念写真を写し、ホテルの従業員に見送られ出発する。コルサコフ(大泊)への道は見違えるような替わり様だった。道端にはパイプラインの工事も行われていた。コルサコフに入って、私の母が一時住んでいたと言う南渓町らしきところを写真に写す。
8/24 5:11 8/24 5:11 8/24 5:54 8/24 6:42
黄身が白い? 朝食(大×) ホテル前(大×) 南渓町
 出国手続きが、入国手続き同様に時間がかかり、諦めて、並んでいるだけだった。それでも、何とか乗船して、泥川団の席を決めやれやれと思う。甲板では、手を振って別れる姿があった。断層の縞模様を伴った綺麗なコルサコフ(大泊)の崖を見ながら、潮風に吹かれていると、遠くに山影が見えて来た。ユジノサハリンスク(豊原)の鈴谷岳なんだろうかと、尋ねる人も居ない甲板で呟く。
8/24 8:51 8/24 8:58 8/24 9:00 8/24 9:09
手を振って コルサコフ港を離れ コルサコフ(大泊)の崖 鈴谷岳?
 やがて、臥牛山(軍艦山)が南の海上に見え出す。雨龍の雙子山(ふたごやま)も丸い山陰を見せる。雨龍浜や芳内は目の前にあるのだが同定できないが、雨龍山、菱取(ひしとる)の岬の南が泥川だ。白い崖の「古江の岬」と「菱取の岬」の間に「泥川」が見えて来る。
8/24 9:38 8/24 9:46 8/24 10:08 8/24 10:09
臥牛山(軍艦山) 雙子山 泥川を遠望 古江・泥川・菱取
 雨龍浜から南に視線を移せば、芳内、親不知、菱取の岬、臥牛山(軍艦山)と続き、泥川を見ることが出来るはずだ。地図では泥川から更に南には古江、大吠、内砂浜、孫杖浜と続いている。
                               ←大
8/24 10:09
孫杖浜 内砂浜 大吠の崖     古江の岬 泥川 軍艦山 菱取の岬 親不知 芳内 雙子山
 刻々と代わる海岸線を見ながら、臥牛山(軍艦山)を軸に「泥川」の位置を同定するが、泥川が真横に近づくと、半島の尾根にある臥牛山(軍艦山)は北側へ段々ズレてくる。時には自信が無くなり、全く別の地点を取り違える場面も多々あり、みんなで議論になる。もう一つのポイントは鉢子内に建っている「ロシア人の白亜の家」だった。
 泥川の同定の仕方は、「古江の崖」と「菱取の崖」の間、臥牛山(軍艦山)と摺鉢山が一直線になるところが泥川になる。更に、白い建物が菱取側に見えるところと言うことだと思う。
 奥地にある軍艦山は、今度は、名前の通り、ドンドン南へ南へと進んで行く。
8/24 10:19 8/24 10:19 8/24 10:23 8/24 10:26
臥牛山と摺鉢山 位置が刻々と変わる臥牛山(軍艦山)と泥川の位置関係
 大吠の崖は三角形で一番はっきりと見える。大吠と古江の間に十串山と思われる山影が見え、臥牛山(軍艦山)の真下に古江の白い崖が見えるようになる。次に「泥川」が見え、菱取の白い崖が見える。親不知は白い崖ではないので判別が出来ないが、菱取の次にあるはずだ。樺太から脱出した地点となった「芳内」はもう北に退いてしまった。
                               ←大
8/24 10:26
大吠の崖 十串山? 古江の 軍艦山 泥川 菱取 親不知          芳内 雨龍浜
 大吠の崖は三角形で一番はっきりと見える。大吠と古江の間に十串山と思われる山影が見え、臥牛山(軍艦山)の真下に古江の白い崖が見えるようになる。次に「泥川」が見え、菱取の白い崖が見える。親不知は白い崖ではないので判別が出来ないが、菱取の次にあるはずだ。樺太から脱出した地点となった「芳内」はもう北に退いてしまった。
                               ←大
8/24 10:58
孫杖浜  内砂浜            軍艦山   大吠の崖        古江の岬 泥川 菱取の岬
 臥牛山(軍艦山)が内砂浜と大吠の間に来る頃、泥川は段々遠くに退いて行く。
                               ←大
                                     8/24 11:01 泥川を
内砂浜       軍艦山       大吠の崖          古江の岬 泥川 菱取の岬
 やがて、西能登呂(クリリオン)岬が見え出し、アナスタシャ(知志谷)、白主山、孫杖、稲穂山、孫杖浜と続いて見えてくるはずだが、同定までは行かず、ただ、見守るだけだった。
                                         ←大
8/24 11:06
西能登呂(クリオン)岬 知志谷 白主山 孫杖 稲穂山          孫杖浜
 臥牛山(軍艦山)が内砂浜に近づくと、大吠、古江、泥川、菱取も遠のき出す。更に芳内は霞んできたようだ。それでも、遠のく泥川は確りと最後まで見ることが出来た。
                                         ←大
                         8/24 11:06 去り行く泥川を
内砂浜       軍艦山             大吠    古江 泥川 菱取  芳内
 やがて、西能登呂(クリリオン)岬が近づき出すと、泥川は遠に去っていった。稚泊連絡船の甲板には、遠ざかる樺太に向かって手を合わせ、何時までも名残惜しそうに見ている一人の老人がいた。甲板に居た二人連れが、「二つ岩」だと話しをしていた。よく見ると、海岸線に二つ岩があるように見える所があった。
                               ←大
8/24 11:36
西能登呂(クリオン)岬 白主山 稲穂山  十串山? 軍艦山    孫杖浜
 やがて、西能登呂(クリリオン)岬が見え出し、アナスタシャ(知志谷)辺りから軍事施設が見え出す。目の前には「白主山:320m」奥に「稲穂山:452m」「劍山:393m」「登山:335m」「雄熊山306m」「雌熊山:287m」が連なり、海岸線には「西能登呂(クリリオン)岬」から「石浜(いしはま)」、「小浜(こはま)」、「七江」、「昆沙讃(びしゃさん)」、「知志谷(ちしゃ、アトラソーボ)」、「二つ岩」、「登(のぼり)」、「孫杖(モーグチ)」、「来泊」、「持内」、「内砂」と続いているはずなのだが、同定は出来ずじまいだった。泥川は既に見えず、どんどん、日本に近づいて行った。この裏側に「宗仁」があるのは今回始めて知った。
                                         ←大
8/24 12:12 泥川は既に見えず
西能登呂(クリオン)岬 小泊      白主 七江 昆沙讃 知志谷 瞼山 登山 孫杖 雄熊・雌熊
 西能登呂(クリリオン)岬を過ぎると、右手に利尻山が海上に姿を現す。稚内から樺太が見えるはずだと、改めて実感する。やがて、甲板に上がって携帯電話で話しをする人が多くなって来た。灯台のある二丈岩は左手に見えてくる。幾度か海難事故の舞台となった海域だ。もう樺太由来のものを写すことがなくなったので、客室に入り、稚内から小樽までの運転に備え仮眠をする。
8/24 12:22 8/24 12:30 8/24 13:55 8/24 14:50
利尻山が見え出す 二丈岩 利尻山が近づく 稚内港に着く
 終わりに
 望郷連絡船の旅は今回で2回目ですが、これからも、きっと最後の一人、いや、子孫に受け継がれて訪れている泥川の皆さんがいると思います。
 戦争とは、平和とは、国家とは、民族とはを問いかけられた旅でした。ただ、故郷には理屈が要らないことを再び、実感しました。最後に人は心!スパシーバ ザ フショ・・
 参考文献
1 郷土誌 泥川を想う 平成6年7月1日発行 泥川編集委員会 竃ツ鐘社
2 サハリン案内  1995年1月31日発行 北海道サハリン友好交流協会 大輝印刷
泥川を想うへ