2002年7月26日〜28日 泥川(ウリャーノヴカ)キャンプ
 27日(2日目) 
 寒いと気が付いたら朝だった。寝袋に入っていたのに何故か寒かった。良く見るとチャックが壊れていて、紐をボタンにかけるようになっている。伊藤さんを見ると、ロシア製の寝袋の中に、日本製の化繊の暖かそうな中に寝ていた。ロシアの寝袋は木綿なのだ。
 早速、トイレの場所を探に行こうと思い、小さなショベルとトイレットペーパを下げてテントを出ると、愛棒も起きていて一緒に行くことにした。海岸線を北へ鉢子内方向に辿り、キャンプ地を振り返ると古江の岬からキャンプ地、スキー場、ロシア人の廃屋が一望できた。
7/27 5:29
                     ←大
古江の岬   小沼 キャンプ地 泊尾橋    十字路 スキー場方向 ツンドラ台地  ロシア人の廃屋
 小さな潮騒の音を聞きながら、海岸線を更に北へ辿ると、ツンドラの台地から褐色がかった小川が流れていた。丁度、顔を洗うのにも良いと思い、早速穴を掘って用をたす。すると、何処からとも無く、小さな蚊の集団が現れて、尻が蚊だらけになる。必死に追い払うが後の祭だった。日本に帰ってから知ったのだが、尻だけではなかった。刺された別の場所はご想像にお任せします。
7/27 5:29
                     ←大
菱取の岬             亜庭湾            古江の岬 花田番屋跡 キャンプ地
 海岸線に北にはロシア人の廃墟の奥に、菱取の岬(125m)が望まれた。再び海岸を南に辿ると、何か遺跡のようなものが露出していたり、ハマハコベの白い花も咲いていた。キャンプ地に戻ると、やはり泊尾橋が気になり見に行く。
7/27 5:29 7/27 5:31 7/27 5:39 7/27 6:07
菱取の岬(↑大) 何かの遺跡(↑大) ハマハコベ(↑大) 泊尾橋(↑大)
 キャンプ地の南にある砂洲方向に行き、花田番屋の跡と思われる所に砂山があったので、駆け上がって見ると一段と景色が良く見えた。市街地跡(キャンプ地)は菱取の岬(125m)をバックにして、亜庭湾がその前に広がっていた。亜庭湾はまだ眠気の覚めないどんよりとした雲の下に広がっていた。
7/27 6:07
                ←大
菱取の岬をバックにキャンプ地(市街地跡)と亜庭湾  対岸は大泊(コルサコフ)方向
 砂山からキャンプ地を見ると、皆さんがたも起きていて、朝の準備をしていた。砂浜を散歩すると、真新しい熊の足跡がくっきり付いていた。私の長靴の跡を傍に付けてみると、その大きさが改めて実感できた。写真に撮った熊の足跡は右の前足と思われた。浜辺にはキク科の黄色い花やハマエンドウのムラサキの花が咲いていた。
7/27 6:07 7/27 6:12 7/27 6:17 7/27 6:18
砂山から(↑大) 熊の足跡(↑大) エゾオグルマ ハマエンドウ
 浜辺には、熊の足跡や糞は至る所にあり、麻痺してしまうが真新しい糞もある。針状の葉を持ったキクの様な花や青い花も咲いていた。木の遺物もロシアの物なのか、流れ着いたものなのか分からないが、砂浜の片隅に眠っていた。
7/27 6:20 7/27 6:22 7/27 6:26 7/27 6:29
真新しい熊の糞(↑大) シカギク ハマベンケイソウ(↑大) 木の遺物(↑大)
 泥川の河口まで来ると、古江(112m:ふるえ、クーラ)の岬が目の前に見え、対岸には家の屋根も見える。くっきりと砂浜に付いている熊の足跡は、右の後ろ足で、私の靴跡よりも大きかった。青い花も咲いていた。
7/27 6:32 7/27 6:32 7/27 6:40 7/27 6:54
古江の岬(↑大) 河口の対岸に家が(↑大) 熊の足跡(↑大) ハマベンケイソウ(↑大)
 実家跡を訪ね グースベリを食べ 記念碑を建てる
 砂洲から戻って来て、砂山に上がり、また泊尾橋を写す。この壊れかけた橋はなかなか絵になると思うので、何時までもあって欲しいと思う。朝食を食べ終えると早速、奥地へ探検開始だ。鳴海さんはレーニヤとアルティーホフと先に、記念碑を建てるために奉安殿(天皇陛下の写真と教育勅語が祭ってあったところ)跡にトラックで出かけていった。
 われわれは伊藤さんを筆頭に歩いて向かう。火の見櫓の道(泥川の基点)を上がって行く。昔、小さい頃に、この坂を自転車で下って遊んでいた人もいるらしかった。まもなく、十字路になり、左に行くと壊れた泊尾橋で、北西角には花田家の実家跡があった。この所にロシア人が魚の加工場を作ったとのことで、コンクリートの塊があり、その上に丸々と太ったカナヘビがいた。実家跡の前には子供の頃食べたというグーズベリ(みなさんはグスベリと言っていた)がなっていた。
7/27 7:01 7/27 7:47 7/27 7:48 7/27 7:51
砂山と泊尾橋(↑大) 太ったカナヘビ(↑大) 実家跡に着く 実家跡でグーズベリを
 更に奥に、爆竹を鳴らしながら進むと、熊道、糞、足跡がいたるところにあり、それらを横目で眺めながら歩いて行く。ここには廃業になったお寺があり、前を通るのが怖かったとか、川でアイヌ人が死んでいたとか、昔の影を追って懐かしがっていた。道端にはツユクサのような紫色の花やオレンジ色のコウリンタンポポが咲いていた。擂鉢山が見える頃、牧草地跡には紫色のアヤメが咲き誇っていた。
7/27 7:53 7/27 7:57 7/27 8:04 7/27 8:05 
カラフトヒヨクソウ(↑大) コウリンタンポポ 擂鉢山を望む 牧草地跡にアヤメ(↑大)
 間もなく、泥川の本流にさしかかるが、川の護岸として作られた石垣が抉り取られていた。誰かが、郵便局の木がこんなに大きくなったと言っていた(泥川の右股?辺り)。
7/27 8:26 7/27 8:31
泥川の上流の流れ 大きく石垣が抉られ蛇行していた(↑大) 郵便局の木(↑大)
 更に奥に進むとロシア人の廃屋が見えてきた。3年前はここにキャンプを張ったが、虫が這いずり回って寝れなかったと言う。学校の奉安殿跡に着くともう記念碑が建てられていた。レーニアは盛んに基礎部分にモルタルを詰めていた。鳴海さんは来るときに熊に出合ったと言っていた。記念碑は木製で上下に分かれている柱を繋いで建てられた。名前は「泥川在住者記念之碑」と書かれていた。その反対には第1回〜今回の4回の訪問者名がかかれ、左右にはそれぞれ2人の俳句が書かれていた。
7/27 8:34 7/27 8:34 7/27 8:40 7/27 8:43
ロシア人の廃屋(↑大) 記念碑の準備 歴代訪問者(↑大) 記念碑(↑大)
7/27 8:44 7/27 8:44
左面(↑大) 右面(↑大)
 みんなで記念碑に見入っていたが、誰からともなく記念碑の周りの雑草を手で引き抜き、綺麗にしだした。私は、花が一つもないことに気が付き、棘のある花ではあったがハマナスの花を引き抜いた雑草の中から拾い碑の前に飾った。
 記念碑からは擂鉢山が良く見え、擂鉢山の下には神社があるはずだが何も見えなかった。鳴海さんは登ってくればと言ってくれたが、まだ、熊がいそうなので遠慮する。昔は学校でも良く登ったようだが、熊が登っているときには、登山は休みだったらしい。
7/27 8:45
      ←大
擂鉢山と泊尾神社跡を望む
 確かに、ここには先ほどまで熊が居たと思われる草が寝た形跡がある。きっと熊が寝ていたのだろう。山崎さんは千羽鶴を折ってきていて、記念碑に飾る。岩崎さんは、泥川のお寺の息子でお経をあげることができた。本当に素晴らしいことだ。今は青果物関係のお仕事をされていると聞いたので、勝手に青海和尚と名づけた。実は、このコンクリートの台座は、昔の奉安殿跡でもある。
7/27 9:13 7/27 9:24 7/27 9:25 7/27 9:25
熊のネグラ(↑大) 千羽鶴を(↑大) 準備完了 読経(↑大)
 全員で祖先の霊を慰めている最中に、千羽鶴が生き生きと宙に舞ってしまう。風で飛んだ元気な千羽鶴を手に持って記念写真を撮る。供物も相棒手作りのマドレーヌを備えたので、記念に写真を撮る。名残おしそうだが、化石の崖を目指して出発する。
7/27 9:26 7/27 9:29 7/27 9:34 7/27 9:35
風で千羽鶴が飛ぶ 擂鉢山をバックに(↑大) 供物(↑大) 化石を求めて出発へ
 墓地方向へアンモナイトの化石を見に行くが、道はもう藪で行けなくなっていたと言うが、熊を見た後なので腰が引けた。仕方が無いので、トラックでキャンプ地に帰る。アンモナイトと墓地は訪れてみたいと思うがどうしようもない。帰りの道端で、黄色い花の写真を撮る。車に乗る前に、廃墟の前で記念写真を撮る。
7/27 9:45 7/27 9:48 7/27 9:56 7/27 9:59
化石を見に行く(↑大) ブッシュに覆われ(↑大) オクエゾガラガラ 廃屋の前で
 帰る前にもう一度、パノラマを写す。また、来れるかと思いつつ。
7/27 9:59
                 ←大
記念碑 学校跡 擂鉢山 泊尾神社跡                       スキー場跡
7/27 9:59
            ←大
スキー場跡           フレップ畑(ツンドラ)
 皆さん満足してトラックに乗り込む。市街地跡のキャンプ地に帰ってきて、昼食まで周辺を散歩する。紫の花を見ながら、行き先はやはり泊尾橋だった。
7/27 10:00 7/27 10:03 7/27 10:36 7/27 10:38
トラックで帰る(↑大) トラックの中 ハマエンドウ 小沼と泊尾橋(↑大)
 天気が良くなったので改めて、泥川の写真を撮る。花田の番屋跡、小沼、泊尾橋、スキー場の山、キャンプ地とした基点、亜庭湾と撮った。小沼は古い地図ではもっと大きく丸木橋がわたっていたようだったが、少し小さくなっていたと思う。川口が大きく南に蛇行したことも関係しているのかもしれなかった。
7/27 10:38
                 ←大
 砂山とキャンプ地(北方向)
 寝袋が干された浜辺から菱取の岬や基点から擂鉢山、古江の岬(花田番屋跡)方向、キャンプ地の写真をとりながら昼食前の時間を過ごす。
7/27 11:01 7/27 11:02 7/27 11:02 7/27 11:02
菱取の岬方向(↑大) 基点から擂鉢山(↑大) キャンプ地(↑大) 橋と砂山と擂鉢(↑大)
 キャンプ地から、古江の岬(花田番屋跡)方向を眺める。
7/27 11:03
           ←大
古江の岬方向(花田番屋跡)
 亜庭湾のパノラマは余りにもターゲットの無い海ばかrなので、5枚の写真を結合したら歪になってしまった。
7/27 11:04
                     ←大
菱取岬 天日干し中の寝袋                    亜庭湾
 内砂浜へ
 キャンプ地で昼食後、今度は二班に分かれると言う。1班は家の跡を探して歩く、もう一班は橋田さんの古里「内砂(ないしゃ、ナイチャ)浜」へ行くことになった。私は橋田さん、山崎さん、添乗員の伊藤さんの4人で内砂浜へ行くことにした。
 トラックはぬかったら大変なので、アルティフォフとアレキセイのトラック2台で行く。アレキセイはこの辺で仕事をしていて、地理に詳しいので、アレキセイのトラックが先導する。最初に泥川を渡り、古江の岬は海の中を走り、古江の川を渡り古江に到着する。
 今度は、アレキセイ一人で、道なりに内砂浜方向に走っていったと思ったら、砂浜から帰ってきた。大吠は海岸線が迫っていて、通れないと言う。
7/27 11:43 7/27 11:43 7/27 11:44 7/27 11:59
泥川を渡る(↑大) 泥川を渡る(↑大) 古江の岬崖(↑大) 大吠の岬(↑大)
 橋田さんは大吠(おおほえ)の岬は越え古里の「内砂浜」に行くことはできなかったが、古江(ふるえ、クーラ)の岬を越えて、串問(といくし)に到着しただけでも満足そうだった。
 昔は問串から淵(ふち)、利屋泊(りやとまり)、内砂浜、特内、孫杖(モーグチ)、登(のぼり)、二つ岩、知志谷(ちしゃ、アトラソーボ)まで道路があったようだ。その先も、毘沙讃(びしゃさん)、七江、小浜(こはま)、石浜(いしはま)、西能登呂と続き西能登呂岬に到達したらしい。
7/27 11:59
                ←大
 古江(112m:ふるえ、クーラ)の岬
 アレキセイの車がオーバーヒートしたのか、古江の川から水を汲んで来るというので、暫し、串問の中を散策することにした。
7/27 11:59
            ←大
亜庭湾
 道端には黄色いキク科の花が咲いていた。アルティフォフの車の前で記念写真を撮る。アルティフォフが私に肩を組んできたので、橋田さんを押しのけて、真ん中になってしまった。アレキセイが車に水を注入している間にアルティホフの記念写真を撮る。山崎さんはアレキセイが使っていた壊れてしまったクレーン車に興味があるようだった。
7/27 12:01 7/27 12:12 7/27 12:14 7/27 12:22
エゾオグルマ 問串で記念写真 アルティフォフ(↑大) 壊れたクレーン車(↑大)
 山崎さんはサハリンで遺骨収集をしていると言っていた。ここでも、千羽鶴を取り出し、アレキセイが使っていた壊れてしまったクレーン車に架ける。今回は、岩崎さんがいないので、読経はなく、静かに手を合わせるだけだった。
 帰りはアルティホフの助手席に乗せてもらったので、海の中を走る様子が良く分かって、感激する。透けた海の中を走る時には、まるで、船に乗っているような錯覚を覚える。
7/27 12:22 7/27 12:25 7/27 12:27 7/27 12:27
千羽鶴を飾る(↑大) アルティフォフ 透けた海の中(↑大) 船のように波打つ(↑大)
 昆布の堆積した浜に上がり、昆布の上を滑りながら走って行く。昆布の堆積した浜を過ぎると砂浜になり、崖の下は岩場になる。
7/27 12:27 7/27 12:27 7/27 12:29 7/27 12:29
昆布の浜へ上がる(↑大) 昆布の上を(↑大) 砂浜を(↑大) 岩場を(↑大)
 広い砂浜からまた昆布の堆積した狭い浜辺になり、泥川の河口の砂洲を目指して進む。後続となったアレキセイの車は水飛沫を上げるたびに、水蒸気が立ち込めていた。砂洲を越えるといよいよ泥川越えになる。
7/27 12:36 7/27 12:37 7/27 12:38 7/27 12:38
浜辺が狭く(↑大) 泥川河口の砂洲(↑大) アレキセイの車(↑大) 泥川(↑大)
 泥川を越えて対岸に上がると、車の速度が上がりほっとする。車が近づくと、海岸にいた海鳥が飛び立つ。この姿は何時見ても感動的だ。
 早く、帰ってきたので、キャンプ地には誰も居なかった。私も市街地跡でも散歩しようかと思ったら、鉢子内方向の砂浜に石垣さんと遊んでいた愛棒の姿を見つける。
7/27 12:38 7/27 12:39 7/27 12:39 7/27 13:09
泥川を越えて(↑大) 海鳥(↑大) 海鳥が飛び立つ(↑大) 愛棒が海岸を(↑大)
 泊尾橋を見に
 私は鉢子内のロシア人の廃屋を写しに行く。帰ってくると、今度は樺太では珍しかったコンクリート橋の泊尾橋を見に行く。ここにも、熊の道が縦横に走り、糞がいたるところにあった。泊尾橋は残念ながら北側が落ちていて橋に上がることは出来なかった。
7/27 13:15 7/27 13:57 7/27 13:58 7/27 13:58
ロシア人の廃屋(↑大) エゾムラサキニガナ 泊尾橋(↑大) 泊尾橋(↑大)
 泊尾橋は泥川で日本人が住んでいたという遺跡の代表格だ。川が蛇行して、北側の橋桁が流され、壊れてしまったようだ。河口も古い地図では右に少し曲がって海に注いでいたが、今は、昔の地図の古い川と記されているところに、川が復活し大きく右に蛇行して海に注いでいた。
7/27 14:01
            ←大
泊尾橋
 泊尾橋の名前や竣工年月日が彫られた石碑を見るだけで来た甲斐があった。
7/27 13:58 7/27 14:01 7/27 14:03 7/27 14:03
左岸側(↑大) 泊尾橋(↑大) 竣工年月日(↑大) 橋の名盤(↑大)
 フレップ畑を探しに
 橋から今度は、花田の実家跡を通り、スキー場の山を目指して進む。皆さんハゲッペラ(フレップ)があったと言っていたが、どう見てもイワツツジのようだった。こんなところにイワツツジがと思ったが、イソツツジもあるので、イワツツジだろう。ジンタンと言っていたのもあるようだが、見当たらなかった。想像するにシラタマの木ではなかったかなとも思う。
 奥に行くに従い、ツンドラとなり、水が溜まっていた。熊が水芭蕉のような大きな葉のある植物の根を掘り返した跡もあった。山の近くないとフレップはないのだが、余りに熊の跡があるので、鳴海さんは引き返す指示をだす。みなさんすごすごと帰る。
 木の実が好きな石垣さんは絶対行くと言っていたので、ガッカリしたかも知れない。
7/27 14:13 7/27 14:26 7/27 14:32 7/27 14:37
フレップ畑へ(↑大) スキー場の山と イワツツジと思う(↑大) フレップを探す(↑大)
 最後の晩餐会
 国道跡を横切るときに吉田さんは側溝にはまり、ズボンがびしょ濡れになった。鳴海さんは前回来た時に、水道管が顔を出していたが、今回見つけられなかったので、再び探していた。私もスコップを持って行って、コンクリートの近辺を掘り返すが見つからなかった。見つからなかったので、トウゲブキやノコギリ状葉の花の写真を撮る。
 キャンプ地に帰るとロシア人たちはもう酒を飲んでいた。サトさん、チッチッと声がかかる。そして、親指と人差し指の隙間を小さくする。どうやら、少し飲まないかと言っているようだった。昨日が飲みすぎたので、愛棒が行くなと制止する。すると、ロシア人たちは、なんだ尻に敷かれているのかと言わんばかりだった。
 宴会が始まるころ、折角飲もうと思っていたビールは既にロシア人に飲まれてしまっていた。仕方が無いので、アルコールなら何でも良くなってしまった。 
7/27 14:40 7/27 14:51 7/27 17:28 7/27 17:29
トウゲブキ エゾミヤマゼンゴ 缶詰のラベル(↑大) 宴会
 ロシア人のコックは赤いバンタナのエフィモフだったが、料理は何だったか覚えていない。
(↑左大)7/27 17:53 7/27 17:53
泥川宴会 コックは赤いバンダナのエフィモフ 宴会(↑大)
 宴会をしていると、レーニアが何か言って、砂山へ登って行った。なにごとかと思ったら、対岸に熊が出たとのことだった。良く見ると熊が遊んでいた。こちらを見たり、ひっくり返っている様子がわかる。早速、デジカメで撮る。遠いのでズームにしたら、シャッタースピードが遅くなるので、手ぶれを起こしてしまった。
 夜は歌合戦だった。もう、写真を撮るのを忘れていた。岩崎さんの弟さんがロシア民謡を歌うと、ロシア人も歌いだした。山崎さんは唱歌を歌っていた。われわれの番になり、愛棒と「山のロザリア」を歌う。
 また、私が一人になってしまった。そこへ、何故からか山崎さんが現れた。そういえば、山崎さんが持ってきた、歌集を全部歌っていないことを思い出し、女性陣の車の中で歌うことを思いついて、山崎さんを連れて行き、みんなで歌った。ふるさとを歌ったときには涙がでた。いつ聞いても、歌っても良い歌だ。
 四季の歌を歌っているとき、春夏秋冬を泥川に置き換え、歌ったら、石垣さんがえらく気に入って、泥川の歌を作ると言い出した。私は急に眠たくなったので、山崎さんを置いて帰る。
7/27 17:54 7/27 18:09 7/27 18:21 7/27 19:40
レーニアは熊を見て(↑大) 日が暮れて(↑大) 対岸に熊(↑大) 夕闇(↑大)
 
 28日(キャンプ3日目、最終日)