2002年7月26日〜28日 泥川(ウリャーノヴカ)キャンプ
 28日(キャンプ3日目、最終日)
 夜明け前に便意をもようしてして起きてしまう。早速、顔を洗いついでに、例のところに行く。まだ、寝静まった海岸線をシェーバーをかけながら歩と、シェーバーの音が意外と大きく聞こえる。自然と、熊がいないかキョロキョロしながら歩いて行く。まるで、不審者そのものだった。
 キャンプ地に帰るとまだ、日が昇ってこないので、浜の掃除を始める。流れ着いていた空き瓶、ペットボトル等を要所要所に穴を掘って埋める。結構綺麗になったと思ったら、砂の中から三平皿の欠片が出てきた。
 そんなことをしていると、太陽が水平線から出てきた。たしか、57年前に泥川を脱出するときも、大きな太陽が昇ったはずなので、みんなを叩き起こして見せた。
7/28 4:08 7/28 4:09 7/28 4:09 7/28 4:11
太陽が昇る(↑大)
 まだ明けきらないきらない泥川のパノラマを写す。古江の岬から花田番屋跡、泊尾橋と写して行く。
7/28 4:12
                     ←大
古江の岬           花田番屋跡方向              泊尾橋
 次に、市街地の基点(櫓のある所)、その奥に擂鉢山、手前に基点キャンプ地、その奥の山がスキー場があった山、手前が市街地と続く。
7/28 4:12
                               ←大
基点 擂鉢山        キャンプ地       スキー場の山   市街地跡
 砂岸段丘の上にツンドラが広がりフレップ畑があったという。手前が海岸線と砂岸段丘に沿って整然と2本の道路があった市街地跡が広がり、その外れにロシア人の廃屋が見える。廃屋のバックは亜庭湾に突き出た格好の菱取の岬となる。
7/28 4:12
                     ←大
   フレップ畑(奥のツンドラ) 市街地跡       廃屋 菱取の岬       亜庭湾
 空を見上げると、青空にまだ白い月がくっきりと見えていた。太陽もまだ上がっている最中で、真っ赤に海面を染めながら自らの姿を幾重にも写し、まるで折り紙の輪繋ぎのようだ。
 海岸線に錆びた看板があったので、愛棒と記念に写す。菱取方向を望むと鉢子内川を渡った所にロシア人の建物が見えた。
7/28 4:13 7/28 4:13 7/28 5:54 7/28 5:55
くっきりと月が(↑大) 太陽の輪繋ぎ(↑大) 泥川のロシアの道標 菱取方向を望む(↑大)
 みんなが起きてきたので、三平皿の欠片を見せる。英子さんが一番欲しそうな顔をしていたので、もらって頂きました。今日は朝早く出発する予定だったが、潮が引かないので昼飯を食べて出発するとのことだった。改めて、今度は小沼や泊尾橋が見えるように写す。
7/28 6:08
                                 ←大
   古江の岬  小沼        泊尾橋           擂鉢山 基点     キャンプ地
 亜庭湾はもう朝焼けが終わり、見つめることが出来ない太陽となっていた。亜庭湾は目標がないので、パノラマを写すのに苦労する。
7/28 6:08
                                 ←大
 菱取の岬                亜庭湾              古江の岬
 時間があるので、住居跡へ行って見ると、にしん釜は割れて草生していた。住居跡には前回来たときには水道管が見えていたと言うので、スコップで掘りながら探して見るが発見されなかった。黄色い花や白い野の花を見ながらキャンプ地に帰る。
7/28 7:30 7/28 7:31 7/28 7:43 7/28 7:46
草生したにしん釜(↑大) キツネノボタン エゾオオヤマハコベ
 それでもまだ、時間があったので、再び記念碑の所に行くことにした。すると、置いて行かれたと思った橋田さんが、熊が出るかも知れない道を一人で歩いていた。何も無くて良かったと思った。学校跡に着くと、道端にオカモノアライガイを発見する。オカモノアライガイはれっきとした二枚貝だという。名残惜しそうに記念碑の周囲を散歩しながら、次に来たときにはちゃんと立っているかと不安がっていた。
 キャンプ地に帰ると、昼飯は韓国製のカップ麺だった。素朴な昔の味だったが、残って捨てるというので、2つ平らげる。ビールは既にロシア人が早々に片付けていまった。鳴海さんは残った黒パンの配給を始める。女性陣は珍しさもあったのか、お土産にする(帰国してから食べたが美味しかった)。
 出発する間際になって、私がアルティフォフの車に飾っていた鯨の骨を手に取って見ていると、太ったイーゴシュさんが写真を撮ってやると近づいてきた。
 泥川を去るときが来たが、来たときと打って変った良い天気になっていた。
7/28 7:48 7/28 8:19 7/28 10:03 7/28 10:04
オカモノアライガイ(↑大) 千羽鶴と擂鉢山(↑大) アルティフォフの車(↑大) 泥川を出発
 2002年7月28日 泥川(ウリャーノヴカ)⇒20km,2hr⇒雨龍(キリローヴカ)
 タンボーヴカ(菱取川)まで行く間に二つの滝があった。あだ名を付けるとしたら、滝なのに、川の字の三本の滝、もう一つは二段の滝だ。トラックは例によってドンドン海の中に入って行く。菱取まで来ると雨竜まで約半分の行程だ。来し方を振り返ると泥川はもう遠くに去ってしまっていた。束の間の古里再訪を惜しみながら三本滝を後にする。
7/28 10:18 7/28 10:18 7/28 10:22 7/28 10:22
一路雨龍へ(↑大) 三本の滝(↑大) 泥川が遠くに(↑大) 三本の滝を後に(↑大)
 次に現れたのが滝壺が二つある格好の二段になった滝だった。ロシア人も車から降りてきて記念写真を撮る。また、海の中を走り、菱取川(タンボーヴカ)を目指す。
7/28 10:28 7/28 10:30 7/28 10:33 7/28 10:45
二段の滝(↑大) 二段の滝(↑大) 二段の滝(↑大) 海の中を進む(↑大)
 菱取川(タンボーヴカ)には樺太鱒が遡上してきていたので、魚影を探すが中々見つからない。
7/28 10:56
                                  ←大
菱取川(タンボーヴカ)のパノラマ
 ここ菱取は山崎さんの故郷だが、道が無くなっていたので、川辺の木に千羽鶴を飾り、岩崎さんのお経で供養する。黄色い野の花や穴の開いた崖を見ていると、漁師の網にかかった樺太鱒を見せてやると言う。
7/28 10:56 7/28  7/28 11:00 7/28 11:07
菱取川(↑大) 菱取で千羽鶴を飾る 黄色い花 穴の開いた崖(↑大)
 網から外した鱒を数匹もらって、また、砂浜を走りだす。直ぐに岩のゴツゴツとした親不知に差し掛かるが、トラックにしがみ付いているだけで精一杯なので、写真を撮るどころではなかった。したがって、残念ながら奇岩や七色の苔の写真はない。
 雨龍が近くなると、国境警備隊の施設が見えてくる。ゲートがあり、待っていると女性の兵士が出てきてゲートを開けてくれた。帰りは検問がなかったが、女性陣のトラックに地元の女性が雨龍浜まで便乗してきた。
7/28 11:13 7/28 11:30 7/28 11:34 7/28 11:57
網で樺太マスを 国境警備施設が(↑大) 海鳥が群れる(↑大) 雨竜川(↑大)
 雨竜川を渡る途中でトラックが止まり、海水を洗い流していた。雨龍で時間があり待ていると、間もなく、ホテルのマイクロバスが予定よりも大幅に早く走ってきた。私の派手なオレンジ帽子のせいか運転手が私に向かって手を上げた。泥川の出発時間が大幅に遅れたので、ロシア時間で無くなったのかもしれないと思う。
7/28 12:02 7/28 12:04 7/28 12:05 7/28 12:18
雨龍川を渡る(↑大) 車を洗う(↑大) 雨龍川を渡る(↑大) 川岸の看板(↑大)
 2002年7月28日 キリローヴカ(雨龍)⇒30km,1hr⇒アニワ市(留多加)
              ⇒40km,1hr⇒ユジノサハリンスク(豊原)
 山崎さんが留多加に鎮魂碑があるので寄りたいということだったので、アニワ市で探した。教会の隣にある公園の中にあり、早速、千羽鶴で飾り、岩崎さんの読経で供養する。
7/28 13:48(↑大) 7/28 13:48 7/28 13:52(↑大) 7/28 13:52
アニワ市にある鎮魂平和之碑
 ユジノサハリンスク(豊原)に帰ってくると、都会に感じ、妙に懐かしかった。途中ゴミ処理場の山もあるが上手く処理できていないようだった。長靴のまま青空市場を覗くが、もう時間的に遅かったので、閉まっている店もあった。屋台で売っていたロシア名物のピロシキを買って食べてみるが、揚げに使った油が使い古しの感があった。残留邦人の方も元気でやっていた。
7/28 14:49 7/28 14:49 7/28 14:59 7/28 15:03
ピロシキ(↑大) 青空市場 踏み切り(↑大) 残留邦人の店(↑大)
 ホテルに着いて、早速シャワーを3日ぶりに浴びる。これが大変だった。みなさん一斉に使ったので、お湯の元栓に近い部屋は潤沢に出たようだが、われわれの部屋はどうやら末管のようで、お湯がチョロチョロとしか出ない。始めに愛棒が使ったときにはそれでも出ていたが、私の番になると全く出なくなった。仕方が無く、水で洗うが体にかかる度に、息が詰まった。

 夕食後、愛棒の叔母の部屋で二次会をする。泥川のみなさんは大満足だったようだ。話しが弾んでいたが、一旦解散した。その後、ノマドの伊藤さんがようやく来た。帰ってしまった方が居られたので、折角だからとみなさんを叩き起し、連れて来る。みなさんは良く飲み、食べ、夜更かしをしているが自分の年を忘れているのではと思う。
 2002年7月29日 ユジノサハリンスク(豊原)市内散策