序        文
                      編集委員長 工藤 義治
 日露戦争勝利の産物として、明治三十八年(1905年)七月八日樺太女麗に日本軍が上陸して八月一日全島に軍政をしいて以来、北緯五〇度以南は日本軍の領土となりました。この広大な未開の地に眠る豊富な資源の開発に日本政府は官、軍、民を精力的に投入することになります。丁度その頃我々の祖先も裸一貫でこの地に移住し、一獲千金の夢を抱きながら、鬱蒼たる原始林に開拓の旗を揚げた所がいうまでもない、我々が一時も忘れることの出来ない故郷、樺太留多加郡能登呂村大字古江字泥川という半農半漁の一寒村でありました。
 日露戦争の代名詞、二〇三高地の激戦で死塁をなして、多くの人々の血を流して得た宝の島南樺太も日本の領土となって四〇年、無限の資源は開発半ばにして太平洋戦争の敗戦によりロシア領土に逆戻りとなりました。時、あたかも真夏の昭和二〇年(一九四五年)八月十五日日本政府は無条件降伏をのむ、信じて止まなかった神風も吹かぬまま、軌跡も起こらずその時から敗戦国となり、ロシア領土化した樺太からの逃避行が地獄絵図のように繰り広げられたのでした。丸裸にされた多くの人々は、命を賭けて樺太からの脱出を図りました。
 言葉に絶する幾多の苦難を乗り越えて、ある人は北海道へ、また、ある人は本州へと仮の住まいを求めて大移動をしました。
 一方、私達同胞の避難民を迎える日本は、敗戦による食料難と、治安の崩れた社会不安により大混乱中でした。頼り少ないつてを求めてそれぞれの土地に落ち着いた人々は、食うや食わずの暮らしでも樺太の生活魂に支えられ、再び裸一貫で再起を図ることになります。
 想えば生死の中から立ち上がって四十八年、約半世紀の生きることへの闘いはすざまじいものがありました。今、人生穏やかにして過ぎし時世を振り返りながら、自己満足を基調にして、吾が人生に悔いはないとしながらも、何時も瞼の裏から離れることの無かった古里、いわな釣し彼の川、兎追いし彼の山、蟹と戯れし彼の砂山、広く青い海に船を浮かべたあの頃、汲めども尽きない思い出は郷愁となり、懐かしさの余り時々夢にまで表れて参ります。夢の中で故郷泥川の海、山、川は母なる大地として、我々の苦難の人生を励まし続けて来たことでしょう。
 元気なうちに何時かは古里泥川に行きたい、行ってみたい。いや行こうと、この募る思いを同郷の皆さんの記憶の中からたぐりだして、皆で仮想の泥川地図を描き、これをまとめて一冊の本にしてみてはの願いを込めて、薄れゆく記憶を鼓舞しながら、どうにか、こうにか一冊の本として世に出ることになりました。
 作成の過程での事実とは少し異なった部分があることと思われますが、念願達成への満足感に免じて下されば幸いと思います。
 この冊子が想い出のアルバムとなり皆さん方の古里への夢がますます膨らんでいうことを願って止みません。
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